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【エール】双浦環(柴咲コウ)の実在モデルは三浦環のネタバレ!日本人初めてのオペラ歌手♪

2020年上半期の朝ドラ「エール」

双浦環(柴咲コウ)の実在モデルは、オペラ歌手の三浦環さんで、三浦環さんは国際的に有名になった歌手でもあります。

この記事では、モデルとなった三浦環さんについて人物像や生涯をまとめていきます。

双浦環のモデルは三浦環

三浦環の概要

・1884年2月22日生まれ、東京で生まれる。本名は柴田環。

・日本人初めてのオペラ歌手。

・海外でもいろんな国で活躍していた。

・「蝶々夫人」というオペラの曲で有名になった。

世界でも活躍していて、日本人初めてのオペラ歌手なんてすごいことですよね。

柴田環の人生は、ほとんど音楽で埋め尽くされていました。

三浦環の努力の固まりの人生を紹介

三浦環は小さい頃からいろんな事を学んでいた

三浦環のお父さんは、公証人の柴田孟甫で、お母さんは永田登波。

お父さんが、踊りや琴などの芸事が好きでした。

その影響からか3歳の頃から日本舞踊、6歳の頃から長唄と筝を習い始めました。

小さい頃から頑張っていたのですね。

その後、虎ノ門の東京女学校に入学。

三浦環の音楽の才能に気づいた、そこの音楽教師の杉浦チカさんから、音楽家になることを強くすすめられます。

そして1900年、明治33年に東京音楽学校に入学。

ピアノを滝廉太郎さん、声楽を幸田延さんから教わり、更にヴァイオリン、アウグスト・ユンケルについても学んでいったのです。

こんなに学んで、頭に入るのかと思ってしまいますが、この努力がさらに三浦環を大きくしていきました。

三浦環は、日本人初のオペラ歌手にだった

1903年7月23日、奏楽堂にて開催された日本人によるオペラ公演が開催されました。

そこに三浦環は、オペラ歌手として出演し見事に成功。

学校卒業後は、研究科に入り声楽を教えるようになります。

なんとあの有名な作曲家、指揮者の山田耕筰にも指導をしていました。

1911年に帝国劇場に所属し、その後レコードに初吹き込みを行い、プリマドンナとして活躍していきます。

三浦環は、外国で「蝶々さん」で有名になっていった

三浦環は、日本だけではなく、外国にも活躍を広げていきます。

結婚後、ドイツに留学しますがこの頃は、第一次世界大戦中だったのもあり、イギリスへ移動。

そして、イギリスでのデビューを成功させます。

三浦環は、自分の十八番の曲がありました。

それは、イタリアの作曲家「プッチーニ」が作った「蝶々夫人」でした。

その曲にでてくる「蝶々さん」と重ね合わされて、これが国際的に有名になったきっかけでもありました。

その後、ボストンで初めて「蝶々さん」を演じ好感度があげていった三浦環は、ニューヨークやサンフランシスコ、シカゴなど各国で名前をひろげ演じ続けました。

なんと世界最大級のアメリカのオペラハウス「メトロポリタン歌劇場」に迎えられた最初の日本人でもあったのです。

戦争もあったなか、日本人として外国で活躍するのは簡単ではなかったと思います。

その後も、日本と外国を行き来する生活をし始め、「蝶々夫人」出演2000回の記録を達成しました。

この2000回を機に、日本での活動に移していき、オペラへの出演やリサイタル開催、レコーディングなどを行っていったのです。

三浦環はどんな人物で性格?

音楽界で突っ走ってきた三浦環ですが、私生活では、色々ありました。

実は2回結婚されています。

1回目は、お父さんの勧めで、音楽学校入学前に陸軍の藤井善一さんと。

その後、離婚してしまうのですが、次は東京帝国音楽大学医学部で助手をしていた柴田家の養子のお医者さんと結婚しています。

そして、太平洋戦争が激しくなっていった頃は、オペラ歌手としての活躍をおさえていきます。

1944年3月に山梨県の山中湖に移り住み、そこでお母さんの看病をしながら、地元の人と交流をしていました。

三浦環は子供好きで、近所の子供達にも歌を教えたりしていました。

頑張り屋さんで優しい性格だった様子が伝わりますね…♪

最期まで歌を歌うのが好きだった

そんな三浦環に病魔が襲ったのです…。

1946年頃から、衰弱し始め入院します。そして膀胱癌が発覚したのです。

一人では歩けない状態になったにも関わらず、同年の3月21日に日比谷公会堂で全20曲のリサイタルを開いたり、その後もNHKの仕事の依頼をうけたりしていました。

病気と闘い続け、周りも元気になってほしいと願っていましたが、1946年5月26日に亡くなってしまったのでした。

亡くなる2日前には、昏睡状態の中、歌を口ずさんでいたそうで、最期まで音楽が大好きだったんだなという気持ちが伝わりますね。

三浦環の死は、外国の歌手にも衝撃をあたえ、追悼メッセージなども寄せられていました。

三浦環を演じるのは、柴咲コウ

・生年月日:1981年8月5日(30歳)

・出身地:東京

・職業:女優、歌手、実業家

・身長:160㎝

・血液型:B型

【デビューのきっかけ】

  • 14歳の時に友達と池袋を歩いている時にスカウトされ、16歳から芸能活動を開始する。
  • 1988年、番宣番組の「倶楽部6」でデビュー。その後、数々の映画やドラマで活躍していく。

【歌手としての活躍】

  • 2002年、シングル「Trust my feelings」でデビュー。
  • 2003年、RUI(ルイ)の名前でリリースした映画「黄泉がえり」の主題歌「月のしずく」がミリオンを超える大ヒット曲となる。

  • 2004年、ドラマ「世界の中心で愛をさけぶ」の主題歌「かたちあるもの」が大ヒット。
  • 2007年、福山雅治とのユニットKOH+を結成。「KISS」してや「最愛」をリリースし話題となった。

【実業家としての活躍】

  • 2016年、エンタメ・コマース事業を行うレトロワーグラス株式会社を設立しCEOに就任。
  • 2018年「衣・食・住」をテーマとし、全面的にプロデュースしたファッションブランド「ミ ヴァコンス」を立ち上げる。
  • 2018年7月6日、環境省の環境特別広報大使に任命される。

【エール】双浦環(柴咲コウ)の実在モデルは三浦環のネタバレ!のまとめ

三浦環さんは、日本人初のオペラ歌手ということでしたが、色々と努力をされてきたんだなあと思いました。

柴咲コウさんの女優としての活躍を見るのは、久しぶりですね。

同じ歌手として、三浦環さんをどんな風に演じるのか楽しみです。

「エール」ぜひご覧ください!♪

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