麒麟がくる

【麒麟がくる】今川義元(片岡愛之助)は東海最強の戦国武将?

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公家のイメージが強かった今川義元ですが、今回の「麒麟がくる」では、白塗りも公家風のなよっとしたイメージも封印し、男らしい姿の戦国武将として描かれるといいます。

この記事では、今回の今川義元像と演じる片岡愛之助さんのプロフィールや演技力この役に対する思い、また今川義元が「海道一の弓取り」と言われる所以と、生い立ちや功績どんな人物だったのか?を、詳しく調べていきます。

この記事では、

  • 「麒麟がくる」の今川義元は、今までとどうちがうのか?
  • 今川義元の生い立ちや功績、人物像

この2点について、考察していきたいと思います。

麒麟がくるの今川義元は。。今までと違うのか?

過去作品での今川義元とはイメージが違う!

今川義元と言えば・・

yoshimoto-11<「おんな城主 直虎」の春風亭昇太さんの今川義元>

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<「武田信玄」の中村勘九郎さんの今川義元>

のように、公家のような恰好をして、顔を白く塗って点のような眉メイクをしているイメージが強かったですね。

今回の「麒麟がくる」では、東海道最強の戦国武将という強いイメージでいくようです。

yoshimoto-13メイクだけじゃなく、着ている着物も違いますよね。

以前の今川義元は、淡いパステルカラーのような着物を着ているのに対して、「麒麟がくる」の片岡愛之助さんの義元は、渋い色の男っぽい着物を着ています。

片岡愛之助さんの今回の今川義元に対するメッセージ

これまでの今川義元は、見た目は公家のようで、どちらかというとやわらかな印象のの人物として描かれることが多かったと思いますが、今回は強大な強さを持った勇敢な武将として描かれています。全体の印象としては、クールな男なのですが、その中に鋭さと燃えたぎるような情熱が見え隠れするような義元を演じたいと思っています。

※麒麟がくる HPより抜粋

 

片岡愛之助さんのプロフィール

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生年月日 1972年3月4日
出身 大阪府
身長 172cm
体重 70kg
屋号 松嶋屋
家族 妻・藤原紀香
所属事務所 松竹エンターテイメント

歌舞伎役者さんなので、お仕事の基本は歌舞伎舞台出演ですが、

テレビドラマや映画にも、出演されていますね。

「半沢直樹」のちょっとオネエっぽい黒崎駿一刑事役とか、刑事7人にもレギュラーで出演されています。

あと、最近ではこれも池井戸潤原作の映画「七つの会議」にも出演しています。

歌舞伎俳優として培った確かな演技力で、ドラマや映画を盛り立てる俳優さんです。

今川義元は、どんなことをした人?

桶狭間の戦いで、織田信長に敗れる

今川義元として一番有名なのは、桶狭間の戦いで織田信長に敗れて討ち死にした武将ということです。

1560年6月、尾張に侵攻してきた2万とも4万5千とも言われる今川義元の大軍勢が、桶狭間で、わずか2000~5000の織田信長の軍に奇襲攻撃をかけられ敗北しました。

兵の数は資料によって異なりますが、5倍から10倍の差があったということは事実のようです。

今川義元は、広大な領地と兵力を所有する最強の武将だったのに、数に劣る織田軍に負けたのは、戦国最大の番狂わせとも言われています。

この桶狭間の敗北のため、今川義元がどんな武将だったか?それまでの功績などは影が薄くなり、弱くて、貴族趣味。。というイメージが強くなってしまいました。

海道一の弓取り

これは、今川義元が、駿河、遠江、三河の三国の広大な領土を手に入れたすごい戦国武将だったということです。海道というのは、東海道のことで、弓取りは武将のことです。

今川家は義元の代で、この偉業を成し遂げました。

今川義元の生い立ち

今川義元は1519年に今川家の五男として生まれ、間もなく寺に預けられます。

そこで、義元の教育係として選ばれたのが、秀才であった雪斎です。雪斎が数えで26,7歳、義元は4,5歳でした。

そこで、雪斎と共に勉学と修行に励んで成長しました。

また、修行中に京に上り、歌会などにも参加するなど、京の公家や文化人と交わりました。

今川家の家督争い

1536年、今川家の長男と次男が同じ日に亡くなるという不可解な事件が起こり、義元に家督継承権がめぐってきます。

母の寿桂尼や雪斎は義元を後継者にしようとしますが、有力家臣の福島氏は異母兄・玄広恵探(げんこうえたん)を立てて対抗してきました。

そして、話し合いは決裂し、恵探側は挙兵し、お家騒動に発展しましたが、義元側が、恵探側の花倉城を落として恵探は自害し、今川義元は晴れて当主になったのです。

義元18歳の時でした。

甲相駿三国同盟を成立させた

当主になった義元は、いっしょに幼少期過ごしてきた雪斎を軍師に取り立て、重用し、外交方針を転換しました。

まず、甲斐の武田氏の娘を妻にしました

その後、その妻が亡くなると、娘を武田氏に嫁がせるなど、北条・武田・今川で甲相駿三国同盟を結びました。

三河を掌中におさめる

1547年、岡崎城の当主、松平広忠(家康の父)が織田方の攻撃に耐えられなくなり、義元に助けを求めてくると、助ける代わりに長男の竹千代(にちの徳川家康)を人質として差し出す約束を結びました。

しかし、岡崎から駿府へ竹千代を送り届ける途中で家臣の戸田康光の裏切りがあり、敵の織田氏に送り届けられるというトラブルが起こります。

1549年に竹千代の父・松平広忠が突然亡くなると、雪斎が率いる軍勢を岡崎城に差し向け、岡崎城を配下におくとともに、近くの安祥城も雪斎が攻め落として城主であった織田信弘(信長の兄)をとらえて人質にし、竹千代と人質交換を果たしました。

そして1555年には、三河をほぼ手の内に収めました

しかし、雪斎が1555年に亡くなると、今川家は少しずつ物事が運ばなくなり、最後は、桶狭間で織田信長に討ち取られることになります。

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雪斎の死から5年後のことでした。

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