『麒麟がくる』も4月に入り、ストーリーの約4分の1まで進んできました。
第10話・第11話では、のちの徳川家康となる竹千代の大人顔負けの武将のふるまいが話題になりました!
江戸幕府をひらく歴史の偉人・徳川家康ですが、子供のころは力の弱い三河に生まれ苦労も多かったようです。
- 父親が今川に、母方が織田についたため両親が離縁、母親と離れ離れに
- 今川と織田の勢力争いに巻き込まれ人質として行ったり来たり
- 成人してもふるさと・岡崎城には帰れず
ビジュアルのキャッチコピーも「悲運の三河大名」。
【キャストビジュアル公開】
徳川家康(とくがわ・いえやす)
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そんなキャッチコピーをつけられてしまう徳川家康の前半生とはどのようなものだったのでしょうか。
幼少期を好演する岩田琉聖くんについてもまとめました!
徳川家康は悲運の三河大名
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徳川家康は三河を治める松平氏の第8代当主・松平広忠の嫡男として生まれ、子供のころは竹千代という幼名がついています。
初登場の第4話では尾張の古渡城で人質としてとらえられており、光秀を物売りと思った竹千代はに三河の刈谷に連れていくよう懇願します。
三河の正統な後継者として生まれたはずの竹千代がなぜ尾張にいたのでしょうか?
第4話の菊丸のセリフにヒントがありそうです。
三河は今川の駿河と この尾張にはさまれて 年中田畑を両方から荒らされて
どちらかの力を借りなければ やっていけない。
若君を人質に差し出して… 悔しいけど そうやって…。
三河は織田と今川という大きな二つの勢力に挟まれて非常に苦しい思いをしていたようです。
第4話のあらすじや菊丸について気になる方はこちらの記事もおすすめです!
竹千代はなぜ尾張にいた?
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竹千代が生まれる前、松平家は竹千代の祖父・清康の死後急激に弱体化します。
そのため、竹千代の父・松平広忠は今川に従うことで松平家を維持しようとします。
一方で、竹千代の母方の叔父である水野信元が織田と同盟を組んだため、広忠は妻の於大の方を離縁します。
このとき竹千代は3歳で、幼くして母親と離れ離れで暮らすことになります。
第10話そんな父親のことを「大嫌いでした」と言い捨てるなど、父親への恨みも垣間見られますね。
そうして母と離れて岡崎城で暮らしていた竹千代ですが、ある日人質として今川義元の駿河に送られることが決まります。
広忠が今川家に援軍を申し込んだ見返りと言われています。
母親が織田側についている竹千代を人質にすることは織田を圧倒したい今川にとっても都合がよかったのでしょう。
しかし今川に向かう道中で家臣の裏切りに会い、一転して竹千代は尾張に連れていかれることになるのです。
そして竹千代は幼少期の2年を尾張で過ごすことになります。
そこから今川義元のいる駿河にいくことになったいきさつは第10話・第11話で放送された通りです。
今川義元が国境の安城城を守っていた織田信広を捕らえます。
そして織田側に竹千代と信広の交換を要求し、織田信秀がそれに応じた結果、竹千代は今度は駿河で人質生活を送ることになります。
第10話では人質交換について竹千代が自分の考えを信長に話すシーンが見せ場でしたね。
今川は敵です。
いずれ討つべきと思うております。
しかしその敵の顔を見たことがありませぬ。
懐に入り見てみたいと思います。
敵を討つには敵を知れと申します。
子供の発言とは思えません!すでに天下人のオーラを感じます。
SNSでも話題になりました。
竹千代、幼子にして信長と張り合う肝の座り方と策士な感じ。
将棋盤を挟んだこの駆け引き、ゾクゾクきた。#麒麟がくる pic.twitter.com/1fDL9Ec2ZM
— ゆっきー (@yuckypower8) March 22, 2020
竹千代のセリフを聞いた視聴者の感想。#麒麟がくる pic.twitter.com/SAWkq5xL29
— シャン・あざらしパシリ (@fujikiyo0407) March 22, 2020
一方でこのシーンについて竹千代役の岩田琉聖くんはこんな可愛らしいコメントをしています。
「将棋盤がすごく重くて、信長さまの前でゆっくりおろすときは、うでとひざがプルプルしました。あと、将棋のコマを動かす順番が決まっていて、それをセリフといっしょに覚えるのが大変でした。信長さまのオーラはすごくて緊張したけど、ちゃんとできてうれしかったです」(岩田琉聖)#麒麟がくる pic.twitter.com/c7Z6ngeBnK
— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) March 22, 2020
竹千代役の岩田琉聖くんについてもこのあとご紹介します!
竹千代の駿河での生活
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(第11回より)
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第11話で竹千代は無事駿河にたどり着き、今川義元の歓迎を受けます。
👇竹千代(徳川家康)様が、今川義元様の元に人質に来た時に出されたお膳✨
鯛とか海老とかあってとっても豪華🤤✨
今川様…さすが駿河と遠江の守護大名✨お金持ち✨
力があるってこういうとこにも反映されてるのね🥺✨
スゴいわね✨#麒麟がくる
👇 pic.twitter.com/3lpIN7H8Tj— けいこ@いちご好き🍓❤️ (@serenade_320) March 29, 2020
人質とはいえ、将来は今川の武将として竹千代には頑張ってほしいので、今川義元も悪い扱いはしなかったようです。
教育役には母方の祖母である源応尼がつき、元服まで世話をしたといわれています。
真野響子さんがキャスティングされており、登場が楽しみです!
今川義元が頼りにしていた太原雪斎から学問や戦について学べたことも竹千代にとっては大きなプラスになりました。
太原雪斎は伊吹五郎さんが演じています。
竹千代が太原雪斎の教育を受けたことが後々時代を動かすわけで。そういう意味では太原雪斎にも興味津々。 #麒麟がくる
— ぱんだ (@tomopinpin1) March 29, 2020
駿河では厚遇を受ける竹千代ですが生まれ育った岡崎城に戻ることはできません。
岡崎城には今川から派遣された城代がすでにおり、墓参りの際にも本丸に入ることはできませんでした。
本丸とは城の中でも城主が鎮座する場所。
自分が生まれた松平家の城のはずなのに、竹千代は城主として迎えられることはなかったのです。
元服から独立・そして徳川家康へ
1555年、竹千代は14歳で元服し次郎三郎元信と名乗り、さらに数年後には元康と名を変えます。
元の字は今川義元から、康の字は祖父・清康からとったものです。
おそらくこのあたりから本役である風間俊介さんが登場するのではないかと思います。
そしてその5年後、1560年桶狭間の戦いで今川義元は討ち死にし、なんと元康は岡崎城を取り戻します。
元康は義元の死によって弱体化した今川氏から独立し、家康と名乗るようになります。
義元からもらった字を返したんですね。
さらに織田信長と同盟を結び、今川氏も滅亡に追い込み、三河を統一します。
三河の平定は菊丸の悲願ですから、このあたりがどう描かれるのかは気になるとことです。
どこかの属国でいいとは民は思っていないわよね…
菊丸は三河のために動く乱破ではあるけれど、1人の民としての正直な気持ち#麒麟がくる pic.twitter.com/Bpgvo31DEA
— たこら(麒麟待ち) (@tacora1003) March 22, 2020
1567年に徳川に姓を変え、私たちが聞きなれた徳川家康という名前がやっと完成します。
織田信長と結んだ同盟は清州同盟と呼ばれ、本能寺の変で信長が死ぬまで20年近く続きます。
東側を家康が固めることで信長は安心して天下布武の道を進むことができたといわれています。
『麒麟がくる』では信長と竹千代は仲良しとは言えませんが、お互い嫡男として家を背負うもの、戦国に生まれた武将として通ずるものを感じているように思います。
信長と、成長して大人になった家康の関係がドラマの中でどう描かれるのか楽しみですね!
織田信長の死後は伊賀越えをする羽目になったり、豊臣秀吉に出し抜かれたりと順調とは言えませんでした。
しかし、豊臣秀吉の家臣として着実に力をつけていきます。
そして秀吉が亡くなったのち、1600年の「天下分け目」と呼ばれる関ケ原の戦いで石田三成らを破り徳川家の基盤を確立します。
その3年後には朝廷から征夷大将軍に任じられ江戸幕府が誕生することになるのです。
織田と今川に挟まれて辛い思いをしていた子供のころからするととんでもない大躍進です。
でもその辛い思いがあったからこそ、強い野望をもってここまでのしあがってこれたのかもしれません。
1616年、徳川家康は75歳でその生涯を閉じます。
『麒麟がくる』ではどこまで徳川家康が描かれるのはまだわかりませんが、辛い幼少期をばねに天下統一に向かってかけあがる徳川家康の姿も気になるところです!
竹千代役の岩田琉聖がすごい!
今川義元は史実通り竹千代を厚遇していますが、それに対してひたすら探るような眼をしてご馳走出されても笑いもしない竹千代役の演技が良くできていました。NHK大河は毎回いい子役を連れてきますね #麒麟がくる pic.twitter.com/JU5jgVOUhJ
— モハヤ人 (@mohayan) March 29, 2020
徳川家康の本役である風間俊介さんの登場はまだ先なのですが、幼少期の竹千代役を演じつ岩田琉聖くんの演技がすごい!と話題です。
岩田琉聖のプロフィール
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名前:岩田 琉聖(いわた りゅうせい)
生年月日:2010年9月7日
特技:サッカー、英語
趣味:絵を描くこと、亀のお世話、料理のお手伝い、自転車
大河ドラマ初出演ながら堂々たる演技で視聴者を驚かせています。
「イケメン幼少期御用達」ともいわれ、これまで山田涼介さん(フジテレビ『カインとアベル』)、亀梨和也さん(テレビ東京『東野圭吾 手紙』)や高橋一生さん(カンテレ『僕らは奇跡でできている』)などの幼少期を演じています。
『麒麟がくる』演出担当の藤並氏は「求められていることの理解力があって、応じることができる賢い子」と高く評価しています。
将来イケメン俳優として活躍してくれるのが楽しみになる逸材です!
風間俊介のプロフィール
本名:風間 俊介(かざま しゅんすけ)
生年月日:1983年6月17日
出身:東京都
血液型:A型
風間俊介さんは1997年にジャニーズ事務所のオーディションに合格し、その後ジャニーズJr.として活動します。
歌ったり踊ったりすることがないのでジャニーズ事務所と聞いて驚く方もいるかもしれませんね。
高校受験の際に芸能活動を休止したのをきっかけにデビューのタイミングを逃してしまったようです。
しかし1999年にドラマ『3年B組 金八先生』に出演し、第3回日刊スポーツドラマ・グランプリ新人賞を受賞したことをきっかけに俳優としての道が広がっていきます。
21歳で踊らなくなり、ジャニーズ事務所のタレントが一堂に会するジャニーズカウントダウンライブのような場にも呼ばれなくなったとか。
ジャニーズの異端児と言ってもいいかもしれませんね。
俳優としてはドラマに映画、舞台などで活躍されており、大河ドラマは2018年の『西郷どん』以来2度目の出演になります。
その確かな演技力に視聴者からも高い期待が集まっています。
風間俊介さん麒麟がくるで家康役なの!?
西郷どんの時も凄く演技良かったから楽しみだ~!— あんかけピラフ (@ankake_pilaf) August 7, 2019
徳川家康を演じるにあたって
風間俊介さんは公式HPでこのようにコメントされています。
家康は、ある作品では温厚な人格者、ある作品では狡猾(こうかつ)で残虐な男と、今も多面的に捉えられている人物なので、今回どのように描かれるのか、どのように演じられるか、今から楽しみです。
考えれば考えるほど身体(からだ)と心が震えますが、これは武者震いです。大きく息を吸い、この震えがおさまった時、家康のように広い目を持って撮影に挑みたいと思います。
戦国三英傑と呼ばれ、江戸幕府を開いた歴史の偉人・徳川家康をどのように演じてくれるのか、登場が待ちきれません!
まとめ
- 悲運の三河大名・徳川家康の前半生
- 竹千代役・岩田琉聖くんについて
- 徳川家康を演じる風間俊介さんについて
この三つをご紹介しました。
本役の風間俊介さんが登場するのはもう少し先になりましが今から楽しみですね!
岩田琉聖くんのイケメンぶりからも目が離せません!
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